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友罪

読書感想文は書かないようにしているのですが、珍しく書きたくなりました。 薬丸岳さんの『友罪』はかなり読み応えがあったのでお勧めします。 デビュー作の『天使のナイフ』はドラマで見たのですが、どちらも少年法をテーマにしていてかなり切り込んでいます。






友罪の概要についてかいつまんで書くと、 小さな町工場に就職した主人公は、同期入社の、無口で陰のある鈴木と徐々に打ち解けていくのだが、あるとき、14年前に日本中を震え上がらせた連続児童殺傷事件の犯人は鈴木なのではないかと言う疑問を抱くようになる。 あなたはその過去を知っても、友達でいられますか? 究極の選択に迫る、渾身の長編小説。



主人公は、ある意外な方法でその答えを出そうとしていきます。 興味のある方は読んでみてください。


著者の問いかけからは少しズレますが、罪を抱えながら生きていくと言うことはどう言うことか

これも私は深く考えさせられました。


私にも少なからず秘密にしている過去はあります。

それが罪に当たるかどうかは置いておいて、人には言えずに抱え続けている罪悪感ということです。

例えば、この本の中にも出てくるのですが、自分のせいで誰かを傷つけてしまったと思うことがあります

「自分のせいで相手がああなった」「あの時あんなこと言わなければよかった」などと言ういわゆる過去のトラウマに苦しめられると言うことは誰しも経験のあることかと思います。

いくら誰かに「あなたのせいじゃないよ」と言われても、自分自身ではどうしても拭えない罪悪感。


この罪悪感はどうしたらいいのか。


トラウマとは、フロイトの立てた仮説で、日本語で言うと「抑圧された記憶」と言うらしいですが、フロイトから決別したと言われるアドラーの心理から言うと、トラウマというもの自体存在しないと考えることも出来ます。

私の好きなアドラーの心理で、「課題の分離」というのがあるのですが、これはまさにトラウマが存在しない理由の説明になります。

要は、トラウマというのは、自分の頭の中でいくつかの事実の記憶が結合したに過ぎず、本来事実は孤立して考えるべきだという事です。


課題の分離の考え方から言うと、「自分のせいで相手がああなった」ということも説明がつかなくなります。

なぜなら、ああなったのは事実ですが、それとこれとは関係ない。

それぞれに問題点はあるにしろ、それはそれで、その2つをくっつけて考えることはナンセンスなのです。


しかし、アドラーほど割り切って考えることはなかなか難しいです。

課題の分離が出来れば、そもそも罪悪感は発生しない気がします。

(今私が言っている罪悪感は相手に向けて感じている感情のことを言っています。)

罪悪感がなければ、自分のせいで相手がああなった、と思い悩むことはなくなります。

罪悪感というより、責任感に変わると思います。

それとこれとは関係ないけれど、それぞれに自分のやった言動の責任はあるという事です。


罪なのか、責任なのか。

どちらにしても、何かを抱えながら生きていくという事は、過去の自分のやった言動や事実を真正面から見つめることが大切だと思います。

忘れないこと。

時が経つに連れて、忘れる瞬間が増えてもいいけど、絶対に忘れないこと。

真摯に生きるとは何か、自分に問い続ける日々が続きます。


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